開田の伝統を引き継いで

長寿会の皆様の教えを受けながら・・・

途別地区は,十勝開拓の祖である晩成社の依田勉三が念願の米作りに成功した十勝の水田の発祥の地として知られています。途別地区から水田が無くなって,今年が29年目ということです。当校では水田の無くなった年から,毎年,その歴史と食についての学習を行っています。また,グランド脇の100㎡の水田では地元の敬老会の指導を受け,もち米の栽培を全校の児童生徒ですすめています。         
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(ミニ知識)
①十勝の水稲はオベリベリに入植した依田勉三によって栽培された。1885年(明治17年)に10a試作したがバッタの被害で収穫にはいたらなかった。
②1894年(明治26年),下帯広村の増田立吉氏が士幌川河口付近で20a作付けし成功したが十勝の水稲のはじまりともいわれてる。

③幕別の水田のはじまりは1901年(明治33年)である。現在の札内南小学校,瑞穂公園に依田勉三の小作人を入植させ1.7haの作付け,1ha当たり15俵の収穫があったとされている
(①②③は北海道新聞発行:十勝大百科事典を参考)
④現在,幕別町には猿別地区に三件の水田農家があり,約7ha栽培している。
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